利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス

利己的な遺伝子 (科学選書)

利己的な遺伝子 (科学選書)

本書は、動物や人間社会でみられる親子の対立と保護、兄弟の闘い、雄と雌の闘い、攻撃やなわばり行動などの社会行動がなぜ進化したかを説き明かしたものである。著者は、この謎解きに当り、視点を個体から遺伝子に移し、自らのコピーを増やそうとする遺伝子の利己性から、説明を試みる。大胆かつ繊細な筆運びで、ここに利己的遺伝子の理論は完成した。

 まえがきで、本書は生物の知識がない人でも読めるSFと思って欲しいとあるが、たぶん読めないよ。学術書はやっぱり表現が固くてまわりくどい! 四苦八苦しながらやっと読了…
 世の中には多くの真実がある。そして真実の見方は常に一つではない。自然淘汰にも2つの見方があるということだ。遺伝子からの見方と、個体からの見方と。正当に理解するなら、それらは等価である。1つの真実の2つのみかたである。その1つからもう1つへと切り替えてみることができる。それでもなお、それは1つのネオ・ダーウィニズムなのだ。
 わかりやすく言うとマトリックスである。我々は我々の複製を残すための道具として遺伝子を認識していた。それは我々=個体からの見方にすぎない。遺伝子からみたら、遺伝子が自分自身を複製するために我々を乗り物として利用しているに過ぎないのだ。我々は遺伝子複製のための<過程>に過ぎないのであった!
 そして最後はもう哲学だ。

生物学をもう一度正しい道に戻し、歴史においてだけでなく重要性に於いても自己複製子が最初に来ると言うことを肝に銘じるためには、意識的な精神の努力が必要である。
 肝に銘じさせる一つの方法は、今日においてさえ、一つの遺伝子の表現型効果がかならずしもすべて、それが位置する個体の体の内部に限定されていないことを思い起こす事だ。原理的にいって確実に、そして事実においてもまた、遺伝子は個体の体壁を通り抜けて、外側の世界にある対象を操作する。対象の一部は生命のないものであり、またあるものは他の生物であり、またあるものははるか遠く離れたところになる。ほんのちょっとの想像力がありさえすれば、放射状に伸びた延長された表現型の力の網の目の中心に位置する遺伝子の姿を見ることができる。世界の中にある一つの対象物は、多数の生物個体の中に位置する多数の遺伝子の発する影響力の網の目が集中する焦点なのである。遺伝子の長い腕に、はっきりした境界はない。あらゆる世界には、遠くあるいは近く、遺伝子と表現型効果をつなぐ因果の矢が縦横に入り乱れている。

 遺伝子ともうひとつ、大切なものがある。ミームだ。染色体にのらない情報を次の世代に残す方法は“文化”だ。だから芸術ってのは、眼に見える、耳で聞こえる、舌で味わえる、むき出しの遺伝子なんだよね。
 僕にとって哲学する上での、ひとつの基準となる本にはなるかもしれない。
★★★