マイ仏教 みうらじゅん

マイ仏教 (新潮新書)

マイ仏教 (新潮新書)

地獄ブーム

 これまでの自分の所業を振り返れば、よほどの聖人でない限り、どのみち地獄に堕ちることはほぼ決定しています。
 ならば、そこがどのようなところなのか、せめて死ぬ前に予習しておく必要はあるでしょう。
 私が地獄のことを調べているのを知った人たちは、よく「俺はどの地獄に堕ちるの?」と聞いてきます。いつの間にか私は「地獄カウンセラー」になっていました。
「そうだね。あなたの場合は、飲み会ですぐにキレて大暴れするから、等活地獄の中の『極苦処』というところに堕ちるよ。そこでは、灼熱の鉄の雨が降り注いでいて、あなたは一瞬のうちにドロドロに溶けて死んでしまう。それが永遠に繰り返される」
 このような話をしていてわかるのが、たいていのみなさんが地獄のことを勘違いしていることです。
 まず地獄が1つしかないと思っています。だから死んでも家族や友人に「よう、久しぶり」と会えると思っています。しかしそれはとんでもない間違いです。地獄は128箇所あり、生前の罪状によって堕ちるところが違うわけですから、家族や友達と同じ地獄に堕ちるとは限りません。このことをきちんと知り覚悟しておかないと、死んでから大変なことになります。そのときに「しまった!」と思っても手遅れなのです。
 さらに128ある小地獄については、よくもまあこれだけ罪状を集めたなと思うほど細かく分かれています。この中のどこかの地獄に堕ちたとき、例えば友達が「羊やロバと性交したもの」というカテゴリーで苦しんでいるのを見たら、かなり気まずくなるでしょう。
 また、周りに人がいないマイナーな小地獄に堕ちるのもキツイです。そこが混んでいれば、順番を待っている間に様子も見られるわけですが、空いているとほぼ獄卒とマン・ツー・マンの状態で、責め苦を受け続けなければいけません。

機嫌ブーム

 つまり「機嫌を取る」=「自分なくし」なのです。
「何で俺が」をやめて、相手の機嫌を取ることを考えたほうが、人間関係がスムーズにいくことは明らかです。

文化は欲望から生まれる

 仏教の教義を体現している仏像にしても、その時代時代の「カッコいい」があったからこそ、阿修羅像のように千年経っても老若男女にキャーキャー言われるわけです。そのことを私は否定できません。
 貴族の寄進によって建立された、平等院鳳凰堂のようなお寺にしても、極端に言えば、貴族と庶民との間に大きな格差があったからこそ、アレだけのレベルのものができたのではないでしょうか。
 そもそも「文化を残す」という考え方自体が執着そのもので、諸行無常に反するのかもしれませんが。数百年のときを経て残った仏像やお寺に夢中になって仏教に興味を持った実としては、少なくともそこは否定できないと思うのです。

★★★