何もそこまで ナンシー関

何もそこまで

何もそこまで

吉田栄作休業宣言。
アメリカで充電だと。
電池か

 ファンでもなく、何の期待も思い入れもない私にとって、吉田栄作休業宣言の意味はなにかというと、最初の報道のとき(スポーツ紙で見た)に出た、「栄作休業 アメリカで皿洗いから」というところにある。もちろん意味は「皿洗いから」の部分のみにある。ここから先は私の勝手な意味の読み取りであるが、通常ならば「皿洗いから」という言い方は、「ゼロからスタートする」といった意味の慣用句にも似たたとえ話のようなものである。しかし、栄作に限って言えば、この人は本当にアメリカで皿洗いをするつもりなのだ。いや、するはずだ。栄作とはそうゆう男だ。洗ってくれ皿、栄作。
「ちっぽけな人間にはなりたくない」と思うことは、誰しもあるかもしれない。栄作も思った。高校生のときだという。新宿の高層ビルの50階だかにある喫茶店から地上を見下ろして歩いている人がすごく小さく見えたときに「ああゆうちっぽけな人間にはなりたくない」と思ったんだってさ。それちょっと違うだろう。単なる遠近感の問題ではないのか。ただビル街歩いてただけで「ちっぽけ」なんて人格まで否定されたらたまらん。おもしろいなあ栄作は。

★★★★★