人間は笑う葦である 土屋賢二
- 作者: 土屋賢二
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
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笑いを考える場合、何をおいてもまず笑いの本質を明らかにする必要がある。しかしここでは、それは論じないことにする。理由は
①笑いの本質を論じてもおかしくも何ともない。これは丁度料理の本質がおいしくないのと同じである。
②論じるだけの枚数がない。私に割り当てられている枚数はわずか十二枚である。これで笑いの本質を論じるのは、とうてい不可能である。少なくとも十二枚半は必要だ。
氏の笑いはほぼ②のパターンにあてはまってしまう。ワンパターンだ。笑いが成立する過程を考えるあまりに決まったパターンの笑いしかできなくなっているように感じる。松本人志が一人ごっつで目指した境地、笑いの多様性(=ひとつのお題に対しいくつ違ったパターンの答えが出せるか)とは対極に位置している。
だから氏が述べているように笑いの本質は論じてもおかしくないし、それがわかっても面白いことを言えるとは限らない。僕は思うに、笑いはパターンのおもしろさもあるが、発想によるところのほうが大きい。そして天然には勝てない。
★★