村上ラヂオ 村上春樹
- 作者: 村上春樹,大橋歩
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2001/06/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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とある医学研究チームにより、「村上春樹の本を読むと人間を元気にし活性化する何かの分泌物が、体内でより多く分泌される」と報告された。ということは村上春樹を読む人は読まない人よりもはるかに充実した人生を送れたんだということになる。それを聞いた村上春樹を読まない人は、それってちょっとあまりな話だ。今更言われても困るんだ。おい、僕の人生を返してくれ、僕の大事な分泌物を返してくれ、と大声で叫びたくなるかもしれない。しかし安心してほしい。これからも彼の本を読むチャンスはあるし、なによりも医学研究チームの報告は僕のでっち上げた嘘だからだ。
先の報告は僕のついた嘘だけれど、なにかの分泌物が多く出ていることは、確かに僕のからだと脳が実感していることだ。村上春樹とコロッケのあいだにある、このうえなくイノセントで満ち足りた友好関係と同じ関係が、僕と彼の本とのあいだにはある。
★★★
『さよならを言うことは』
レイモンド・チャンドラーの小説の中に「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」という有名な台詞がある。僕もいざというときに、そういう決めの台詞を一度くらい口にしてみたいとは思うんだけど、こっぱずかしいというか、なかなか素面ですんなりとはいえませんよね。
しかしチャンドラーさんに異議を唱えるわけではないけれど、私見を述べさせてもらうなら、人は「さよなら」を言った直後には実はあまり死なないものだ。僕らが本当に少し死ぬのは、自分が「さよなら」を言ったという事実に、身体の真ん中で直面した時だ。別れを告げたものの重みを、自分自身のこととして実感したとき。でも大体の場合、そこに行き着くまでには、あたりをひとまわりする時間が必要になる。
僕もこれまでの人生で、少なくない数の人々に別れを告げたけれど、上手にさよならを言えた例はほとんど記憶にない。今思い返すと「もうちょっとまともなさよならの言い方があったはずだな」と思う。だから悔いが残る――というほどのことでもないんだけど(たとえ悔いたとしても、それで生き方が改まるというものでもないし)、自分がいかに不十分でいい加減な人間であるかをあらためて実感させられることは確かだ。人間をいうのはたぶん何かあって急にすとんと死ぬんじゃなくて、少しずついろんなものを積み重ねながら死んでいくものなんだね。