グランド・フィナーレ 阿部和重

グランド・フィナーレ

グランド・フィナーレ

ロリコンゆえに仕事も家庭も失った男が故郷で二人の少女に出会う。
第132回芥川賞受賞作。
とんでもない変態に出会ってしまった。『グランド・フィナーレ』の前に『新宿ヨドバシカメラ』からの引用。

 今や新宿は、まず真俯瞰でこそ捉えられねばならない。ほかの視点はもう捨て去っていい。終始、真俯瞰だけで通さねばならないのだ。むろん人によっては苦渋の選択となろうが、その苦しみに耐え得る者だけが今日の新宿(像)を正しく提示できるだろう。そうでなければ、欧米人らの目を通したパークハイアットの窓景色ばかりが特権化されてしまうに違いない。わたし個人としてはそれでもちっとも構わぬわけだが、そうした事態にがまんならぬはずの者たちの心情を察すると、ついおせっかいを焼かずにはいられないのだ。ディプロマットスイートから見下ろす街並みの景観は、室内のありさまと比べると全くつまらないといった評判は、すでに多くの利用客らによって明かされている。この事実は、真に有効なる真俯瞰の構図が猶も発見されぬまま今日に至ってるということを直ちに意味するはずだ。そして仰角の隠蔽こそが、人々をいっそう饒舌へと導くだろうとわたしは予測する……。
――先生?
――何だい?
――それで結局のところ、何を仰りたいのです?
――さあね。正直、わたしにも判らんよ。生憎とね!
――こう言ってよろしければ……。
――何だい?
――先生の太鼓腹はひどく雄弁そうに見えて……。
――それで?
――とても未来を見通せるような代物ではないわ!
――結構!上出来だ!
――……あら、泣いてらっしゃるのですか?ならこうして差し上げましょう。
 真上から見下ろすとまん丸に見えぬでもないわたしの腹部を山手線に見立てたとしても、勃起したペニスを都庁に摩り替えるといった細やかな願いは決して叶うまい。決しえて叶うまいが、彼女は自分が考案したテロ計画にすっかり夢中になっており、小風にそよぐ葦のごとき可憐な仕草でもって空に軌跡を描く――この世に二つとない美の形象たる彼女自身の両方の手を用いて、都庁を(驚くべきことにじつに平和的な策を弄して!)萎縮させる大仕事にとり組み始めたのである。

前代未聞の気もち悪さだよ。リアルに鳥肌が立った。
そして『グランド・フィナーレ』。妙に冷静な自己抑制と少女に対する情熱的なまでの偏愛の温度差が気もち悪い生ぬるさを持たらす。すばらしい気もち悪さだ。恐怖を味わいたいなら稲川淳二を。気もち悪さを味わいたいなら阿部和重を。
★★★★