介護入門 モブ・ノリオ

介護入門

介護入門

29歳、無職の〈俺〉。寝たきりの祖母を自宅で介護し、大麻に耽る――。饒舌な文体でリアルに介護と家族とを問う、衝撃のデビュー作。第131回芥川賞受賞作。

ASSHOLE、野蛮人の繊細さを知りえぬ野暮な自称近代人には創造だけでもして欲しいのだ、未だホームセンターで滅菌の土を買う行為に俺の血が覚える強い違和感をな、それと同様、大手家電メーカー開発の介護用ロボットを暇つぶしのロボット博覧会で見にしたときも、何ともいえぬ激しいむかつきに襲われその場を立ち去ってしまったよ、朋輩(ニガー)。
己の老後をロボットに世話してもらいたいって理由からそいつが開発されたんじゃないってことはわかった、もしそんな風に開発者が考えていたなら、金属部品を扱う製造機械じみた外見などを与えられはしないはずさ。新聞で見たイスラエル無人爆弾処理アームみたく非情なそいつ、人の手を汚さぬことを主眼に作られた冷たい機械が企業の無意識を代弁してたぞ、『寝たきりの年寄りは家庭生活をゲリラ的に脅かす爆弾だ』ってな。わかるか、この《近代的意識が培養したデリカシーの欠如に対する無自覚》への、どうしようもない苛立ちを?オツムの悪い奴のために念を押すぞ、機械だから駄目だなんて俺が言ったかい?工学的にしか被介護者の人体を認識できぬ惰性的研究者どもの普段の志向がそのまま機会の形に表現される、その普段の考えが糞なんだから、碌でもねえガラクタが出来あがっちまうんだ。俺が未来の介護ロボットの青写真をくれてやろうか?「てめえがそいつのお世話になるつもりでより優れたロボットの開発を目指せ、自慢の内孫のような介護ロボットをな!」ってことだ、それを指向する感性に恵まれずテクノロジーの可能性も本気で信じられぬから、恥ずかしげもなくメカニックな鉄の粗大ゴミを博覧会場に陳列してしまうのだ、YO、土人の血族たる俺のほうがよほど科学の進歩につながる感性を持ち合わせている、過去形の近代性に囚われた技術の焼きなおしにいそしむ技術者なんかよりもな、朋輩(ニガー)。

だが介護の汗を流しもしなかった奴が被介護者の悲惨さを俺に訴えるなら、そいつと被介護者の血がどれだけ濃かろうと、俺は俺固有の介護経験という俺固有の物語を根拠に言わせてもらう。「ヨウ、ケツ拭いて飯喰わして毎晩気もちようさしたってから言えや」わかるか?マリファナ未経験者の想像力を欠いたマリファナ幻想物語に対する「草キメてから言えや」と同じ傲慢さでだ。血の濃さなんか介護には糞の役にも立たぬのだよ、ニガー、ケツを拭くときのぬるま湯以下だ。ほかの誰かが作った物語りのほとんどが自分にとってゴミ以下なのとおんなじことだ。「そんな君の物語など君固有の幻想ではないか?」などとほざく奴には、それだけが現実だとおしえてやろう、「二流の書物とセックスして死ね」だ、頭悪男くん。書物がすべて人間の脳から出たこと、頭悪男の脳も新たな書物を発明しうることを俺は介護の現場から学んだ。俺自身が新しい書物になったからだ――無論、俺にとって新しい、という意味でだがな。介護の現場に於いても誰かの脳から脳へと複製を重ねられてきた《血の優位》を説く者があるなら、俺の体が受けた情報を記憶する俺の脳から、《記憶の優位》を証明する俺の言葉が、この時間、この場所から、だから変な義務感ばかりでろくに介護もできない大人たちを作ると言い放つ。《血の優位》も《記憶の優位》も物語として備えた上で介護にあたる人がほとんどだ、そして記憶といっても家族との想い出のすべてがいい記憶なわけがないし、その介護が必要な家族に対して思い出したくもない恨みのある奴がなんとか家族につくしたいと悩みながら努力する場合もある、だがな、それが記憶だ、それこそが記憶の起こしめた力だ、その中に被介護者との続柄や血の距離のみを根拠とした自らの優越性が混じったなら、それは血や続柄制度の物語に縋る堕落の始まりだ。

 己が被介護者にとって何の血の繋がりもない赤の他人だと仮に思え。「他人なのにここまでしてもらった」「他人なのだから、少々いやな思いもさせられたが」と仮に思えば、まだまだ尽くし足らぬと思えてくる。そうすれば甘えが消える。
 これは愛の物語だ。他人だから嫌な思いをするのはあたり前で、「家族」や「恋人」といった言葉の持つ拘束力だけでは、愛は成しえない。嫌なこともあったけど、それでも尽くしたい。涙を流したときに、その記憶が確かなものだったと気づいた。だけれども、僕は逡巡しなかった。希望の成就しえぬ者の感じる残酷さと、それを慮ることのできない者の甘さを許すことができなかったから。
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