空からぎろちん 中島らも

空からぎろちん

空からぎろちん

これは冗談か蘊蓄か。おかしくてややこしい中島らもの頭の中身。
発想法

商売に関していうならば、この広告屋の発想はいろんな場で役に立つだろう。僕自身が通常、発想のメソッドとして使っているのは、シュールレアリスムの「デペイズマン」という手法である。これは日本語の単語に訳すのは少し難しいのだが、要するに「あるべきでない所に、あるべきでないものが出現することによっておこる衝撃」とでもいえばいいだろうか。この考え方の端緒となったのは19世紀フランスの詩人、ロートレアモンの「マルドロールの歌」の中に出てくる、「手術台の上のコウモリ傘とミシンの出逢いのように美しい」という一節である。もっとわかりやすい例を出せば、ルネ・マグリットの絵などがそれだ。

マグリットの作品では特に「光の帝国」と「ピレネーの城」がお気に入り。
「光の帝国」は必ずすれ違う運命にある昼と夜が“運命的”に出会った作品。
ピレネーの城」は嫌がおうにも冒険心をかきたてる作品。
男に好かれる男になる

友を選ばば書を読みて
六分の侠気 四分の熱
「書を読む」かとか「熱情がある」かどうか、というのは二次的なことだろう。もちろん知性も情熱もあるに越したことはないが、それよりも問題なのは侠気の有無ではないだろうかと思う。
「最近、O君と会ったかい?」
「いえ、もう半年ほどあってないですね。最近は電話もかかってこないですね」
「それは一度、君のほうから電話するなり顔を見に行くなりしてあげたほうがいいな。何か困っているかもしれないから」
「でも“便りのないのはよい便り”って言いますよ」
「いや、あれはまちがいだ。侠気のある男って言うのは、自分がピンチの時には友人の前に出たがらないものだ。自分が困っていることを悟られると、相手は頼まなくても自分を助けようとしてくる。迷惑がかかる。だから自分の調子がいいときはひんぱんに声をかけてくるが、困ったときには便りをよこさない。だから、そういうときはこちらから行ってあげないといけない」

職場で好かれる男になる

 ボクが昔勤めていた会社の上司に、ウケ狙いでやたらにオフィスで放屁するという人がいた。
 そしてある日、その上司はついに社長からこっぴどく叱られることになった。社長はカンカンに怒って、社員の面前で、「会社で屁をこくなっ!」と上司を仕方t。ボクはそれを見ていて非情に情けなかった。「普通の」会社で、社長が社員に“会社で屁をこくな”と叱る光景などあるはずがない、と思ったのだ。
 この上司はつまるところ「みんなから好かれたかった」のだろう。そして人心を得るためのタクティクスを完璧に選びそこなったわけだが、そもそも「会社で好かれたい」という願望そのものがけしからんのではないか、とボクには思えた。企業というのは利便を追求する団体である。会社のフロアは社員のそれぞれが営利を高めるために活動をする場なのだ。その場においては意見が対立することや各自が競争をすることなどが一種のダイナミズムになる。このダイナミズムが企業に営利をもたらし、それは各人へと還元される。つまり会社というのは決して「好かれるために」行くところではないのだ。「和」というものがあるとすれば、それはお互いが共通の利のために闘っているという同族認識があって初めて、そのうえに生まれてくるものだろう。職場によっては効率を上げるためにこの「和」が必須のところもあるし、逆に社員同士をけしかけることで成立する職場もある。そこでは一番「嫌われる男」が一番有能な社員である場合もある。つまり、会社という特殊な場に合っては「好かれる・好かれない」は二義的な問題でしかないのだ。少なくともそれくらいの気構えで臨む必要はあるだろう。

★★★★