国境の南、太陽の西 村上春樹

国境の南、太陽の西

国境の南、太陽の西

今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう―たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて―。日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作。
イズミの従姉との関係がイズミにわかってしまって。

 もちろん僕はイズミを損なったのと同時に、自分自身をも損なうことになった。僕は自分自身を深く――僕自身がそのときに感じていたよりもずっと深く――傷つけたのだ。そこから僕はいろんな教訓を学んだはずだった。でも何年かが経過してからあらためて振り返ってみると、その体験から僕が体得したのは、たった一つの基本的な事実でしかなかった。それは、僕という人間が究極的には悪をなし得る人間であるという事実だった。僕は誰かに対して悪をなそうと考えたようなことは一度もなかった。でも動機や思いがどうであれ、僕は必要に応じて身勝手になり、残酷になることができた。僕は本当に大事にしなくてはいけないはずの相手さえも、もっともらしい理由をつけて、とりかえしがつかないくらい決定的に傷つけてしまうことのできる人間だった。

 人生は何かを得ながら進んでいくと信じていた僕に、人生は何かを捨てながら進んでいくものだと考えさせた作品。本当に欲するものを手に入れようとするとき、人は代わりに何かを捨てたり、誰かを傷つけてしまう。あの結末をひとりで選んだ島本さんは、ハジメに大きな喪失感を与えて人生を送らせることになったし、もしふたりであの結末を選んだとしたら、有紀子と2人の娘に喪失感を与えて人生を送らせることになっただろう。
 いずれにしても人は誰かを傷つけながら生きていかなければならない。これは悲しい結末の物語だけれど、それを否定する物語ではない。

★★★★

P.S. 島本さんは本当に魅惑的な女性だった。