希望の国のエクソダス 村上龍

希望の国のエクソダス

希望の国のエクソダス

2002年秋、80万人の中学生が学校を捨てた。経済の大停滞が続くなか彼らはネットビジネスを開始、情報戦略を駆使して日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まった――。

「その人は、1人か、ごく親しい人と2人で最高級の懐石料理を食べるんだって言ってたな。最高級の懐石は、喪失感を和らげてくれるんだって。私はそういう解析を食べたことがないから分からないけど、なんとなく理解できるよね。かけがえのない大切な人を失った時の悲しみと言うのは、他の人では埋められなくて、何か美しいものだけがその時間を埋めてくれるものだ、みたいなことをその人は言ってたんだけどね」

アメリカ型競争社会を導入すると言うことは、共同体からの無条件の庇護がうしなわれるということなのかも知れない。近代化のためという国民的なインセンティブがなくなって、日本人は庇護し庇護されると言う関係性を放棄しようとしている。それは経済が要求することで、つまり不可逆な歴史であり現実だから、どんなに嘆いても昔に戻ることはできない。大前提的な庇護を失い、個人が個人として生きるようになると言う概念をまだ日本人は持つことが出来ないでいるが、共同体と個人の関係性だけはなし崩し的に既に変わりつつある。誰かに何かをしてあげたい、誰かに何かをしてあげることが出来る存在になりたいと言う思いが、どれだけ普遍的で、切実なものかをコレから日本人は思い知るようになると思う。競争社会では、嫉妬や自己嫌悪が人間の当たり前の感情だと言うことがよりはっきりするだろう。

わたしは埼玉の教育委員会に出向した時に中学生や高校生とかなりの時間現場で話をしたんですが、だっせー、とか、うざってー、とか、うっそー。とかそういう常套句しか連中は喋れないんです。若者言葉がどうのと言うより、表象能力がない。ボキャブラリーが極度に貧困なんです。考えてみれば、当たり前ですよ、学校に言ってれば簡単なんです。サバイバルする必要もないし、マスコミとかテレビでもてはやす若者言葉と言うのを喋ってさえいれば、少なくともアイデンティティの危機はないわけです。自分がどこに属しているかを簡単に確認することが出来る。マスコミが女子高生や若者の言葉を面白がるのは、私たちの社会全体がそういった安易なアイデンティティの確認をする社会だからです。

 コミュニケーションできません、予算委員会ポンちゃんはそういった。質問者である議員への悪意からではなく、本当にそう思ったのだろう。今のお気持ちを聞かせて下さい、例えば優勝したスポーツ選手に対しニュースショーでは必ずそういう質問でインタビューが開始される。嬉しいに決まっているじゃないかと思うのだが、それ以上の事を言わせようとする。母の命日だったから余計に嬉しいですとか、監督の助言のお陰ですとか、励ましてくれたチームメイトに感謝していますとか、何か付け加えなくてはいけないのだ。それは確認の儀式みたいなものだと思う。テレビを見ている人も含めてみんながある共通の理解の輪の中にいることを確認する儀式なのだ。

W杯ブラジル戦後の中田のインタビューが印象的。準備しただけの質問を投げかける、コミュニケーションできない記者が痛々しかった。

リスク管理が重要なのはお分かりいただけると思うんですが、リスクというのは特定できないと、管理できないんです。この国では、原子力とか内分泌物撹乱物質とか、あるいはそれらを含む環境までモデルをひろげてもいいんですけど、また、安全保障とか治安とか金融システムとかそういうマクロモデルでもいいんですが、要するに、2、3%程度の確立で起こる中小規模のアクシデントやクライシスに対するリスクの特定は出来ているんだけど、0・000001%の確立で起こる超大規模のアクシデントやクライシスに対しては最初からリスクの算出はやらなくてもいいということになっているんです。そういった傾向は家庭から国家まであらゆる単位の共同体で見られるので、結局リスクマネジメントができません。それはマジで危険なんで、僕らとしてはその共同体から、つまり僕らにとっては学校とか家庭ですが、何とかして、自由になるしか方法がなかったというわけなんです。新興宗教原理主義者たちのテロとか、核燃料施設の事故とか、あるいは将来僕たちが社会参加していくときにどうやってサバイバルしていくかと言うことまで含めて、普通、学校と言うところはリスクを特定してくれて、そのリスクを管理するための訓練とか勉強を行うんだと思うんですね。それがない以上はそこを出て、自分たちで何とか自分たちなりにリスクを特定しながら、それを管理するようにしないと、あまりにも危険すぎるでしょう?

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

★★