挑戦的平和論 下巻 小林よしのり

挑戦的平和論―ゴーマニズム宣言EXTRA (下巻)

挑戦的平和論―ゴーマニズム宣言EXTRA (下巻)

嵐の反響を呼び起こした「ゴー宣EX.」の集大成。下巻は、天皇論と家族論、挑戦的平和論、韓流純愛ブームとニート、などを収録する。
天皇論と家族論』
保守論壇の戦後生まれの天皇論にうそくささを感じる小林よしのり。今の若者に「とにかく偉い方なんだからありがたがりなさい、そうするものなのだから」という理論は通じない。私たちの人生に天皇がどう関わっているかが見えていないと天皇論は論じ得ない。
 皇太子は「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」と“愛を叫んだ”が、著者は皇室の「民主主義的な家族の象徴になる」という作戦も限界に来ていると言う。そもそも現状では国民の側の平均的な家族も理想的な家族も見えなくなっている。象徴としての機能をなさない天皇は私たちにどう関わっているのか?

与えられたもののありがたさには気づかなければならない。与えられた条件を活かして、最大の冒険をするべきである。個人にも限定された条件・宿命が与えられているが…国家に付与された条件も、地理・気候・資源・言語・人口・歴史のけいぞくによる文化の差などで限定されている。それらの限定された条件は、そこに生まれた者の宿命として、引き受けなければならない。それどころか、その条件を愛することこそが、真の愛国心である。

政治の決定には常に価値選択が行われ、国民が決定に従う根拠となる権威も必要となる。権威は人間としての天皇にあるのではなく、天皇に封じ込められた日本の伝統そのものにあるのだ。日本国民は特定の人物に権威を与えない非常に用心深い制度を長い歴史の叡智の中から、ついに獲得したと言える。我々は、我々の有限性を再確認する装置としての神話が必要なのだ。

あまりにも深遠に思えるものは盲目的に享受してまう。天皇制、憲法、家族…どれも適切な距離感を持って結ばれた絆の上に成り立つもののように思う。あまりに距離が近すぎるとありがたさに気がつかないし、距離がありすぎると自分と関わっているように思えない。絆を信じるに足りうる検証がなければ、その関係性もいつかは限界が来る。

『マンガ論』
マンガがすでに出来上がったものではなく、常にその時代に衝撃を与えようと変化してきた点に焦点を当てて論じている。数字的なものや技術的なものだけに終わることなく、「その時代にタイムリーに見た衝撃」が重視されている。いくらその作品をみたり、評論したものを読んでも、今は誰にもわかなくなってしまったことは存在している。
★★★★