象の墓場 花村萬月
- 作者: 花村萬月
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/07
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
『象の墓場』
赤羽と教子の交わり。
文明発祥の地が麻薬の生産地と重なるという事実。
宗教とは、あるときには覚醒を、あるときには常軌を逸した陶酔を、そしてあるときには幻覚を、さらにはメソッド化された苦行などのサディズムおよびマゾヒズム的行為のおかげで性的快感にごく近い、しかしそれを遥かに凌駕する快楽をもたらす甘美なる毒物である。神とはそのメソッド、あるいはシステムに奉仕するために編み出された虚構であっても一向に構わないというのが仏教的な宗教観であり、キリスト教はストイックこそが快楽の骨格であることを悟るべきだと言外に訴える。確かに怺えにこらえた末の炸裂こそが最上のものである。つまり宗教とは、もっとも慾深い者たちがひそかに練り上げた最強の毒物だ。中途半端は宗教としてもっとも無様で無意味である。
『生殖記』
太郎に運転を教えたり、乳搾りを教える朧。
神とは、あるいは神の存在とは、ある力学である---。
モスカ神父の教えを太郎に囁きたい欲求を覚えた。神の存在は、自動車の運転からも学びとることができるのだ。正常かつ安全とされている操縦を破綻させて、圧倒的な質量が物理の法則にしたがって動く瞬間に、神の人差し指が自分の額に触れていることを直覚する。限界と無力のはざまで、世界は紗幕を脱ぎ棄て、その実態を露わにする。アラビアのロレンスをはじめとして、人が頼まれもしないのに命がけで運転をし、必要もない速度で突っ走る理由が、ここにある。
暴走したことのない者には理解不能だろうが、暴走する者こそが嘉されているのだ。神を感知することと知性の間にはなんら相関関係がない。知性を磨くことによって眼前の曇りガラスをより分厚いものに変えてしまうといった悲劇が往々にしておきる。けれど当人は気づかない。顔がよく映るようになったと自己満足して薄気味悪い笑みを泛べる。なぜ、こういうことが起きるかといえば、躯を張っていないからだ。つまり、実際に後輪を滑らせたものだけが掴めるものがあるということだ。速度は神性の重要な側面だ。その速度に、その無意味に命をかけなければ見えないものがある。
乳牛は牛乳を搾り取るために、生産性のみが追求され、人工授精により生殖が徹底的に管理されているという事実。
「とにかく私がいちばん衝撃を受けたのは、徹底された生殖の管理なんです」
「いいところに気付いたね。生殖を押さえてしまえば、支配が完成するということだ」
「やっぱり、そうなのですね。」
「そうだ。僕には性的な欲求がある。たぶん由麻にもあるだろう」
「――あります」
「ところで宗教は、どうだろう」
「どういうことですか」
「野放図に性を楽しむことを求めるごく少数の宗教も、そして大多数の宗教にあるせいの抑圧に近い抑制も、じつは信者の生殖を管理して、支配しようという宗教者の意識、無意識の試みなのではないか」
牛には、発情期というものがある。
人には、ない。あるいは年がら年中発情している。最近の僕のように。
かくして生殖を管理しようと試みた幾多の宗教者たちは、際限のない人の性欲にあっさり挫折させられたのである。
妊娠しないはずの教子、そして由麻を妊娠させた朧。王国<悠久寮>はどうなってしまうのか!?
★★★★