思考の整理学 外山滋比古

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

アイディアが軽やかに離陸し、思考がのびのびと大空を駆けるには?自らの体験に則し、独自の思考のエッセンスを明快に開陳する、恰好の入門書。

スイフトの『ガリバー旅行記』は18世紀の作品である。もともとは当代の政治状況に対する厳しい風刺であった。ところが、次の時代からすでに、読者に分からないところが出てきて、これは時代が下るにつれてますます多くなった。やがて、『ガリバー旅行記』を風刺として読む人はなくなった。そこでこの作品は忘れ去られても良かったのである。
 ところが、新しい読み方が行われるようになって、これをリアリズムの童話に変身させた。それとともに、『ガリバー旅行記』の古典化が起こった。政治風刺であることをやめてはじめて、世界的な広がりの読者層を持つことができるようになったのである。
 “時の試練”とは、時間のもつ風化作用をくぐってくるということである。風化作用は言い換えると、忘却にほかならない。古典は読者の忘却の層を潜り抜けたときに生まれる。作者自らが古典を作り出すことはできない。
 忘却の濾過槽をくぐっているうちに、どこかへ消えてなくなってしまうものがおびただしい。ほとんどがそういう運命にある。きわめて少数のものだけが、試練に耐えて、古典として再生する。持続的な価値をもつには、この忘却のふるいはどうしても避けて通ることのできない関所である。

 ノートへうつしてやるのはいわば、第一次のシレンにパスしたものである。これも、しばらくして再検討すると、やはり、おもしろくなくなってしまうものが出てくる。
 これが第二次の試練である。ここを通り抜けたものを、前に紹介した、メタ・ノートへ移す。こうして、変わらないものを見つけていく。逆から言えば、代わりやすいものを忘れていく。
 忘却は古典化への一里塚ということである。なるべく忘れたほうがいいと言っているのも、個人の頭の中で、古典的で不動の考えを早く作り上げるには、忘却がなによりも大切だからにほかならない。
 忘れ上手になって、どんどん忘れる。自然忘却の何倍ものテンポで忘れることができれば、歴史が30年、50年かかる、古典化という整理を5年か10年でできるようになる。時間を強化して、忘れる。それが、個人の頭の中に古典を作り上げる方法である。
 そうして古典的になった興味、着想ならば、簡単に消えたりするはずがない。
 思考の整理学とは、いかにうまく忘れるか、である。

 修飾語を多くつけると、表現は弱くなる傾向を持っている。「花」だけでいいところへ「赤い花」とすると、かえって含蓄が小さくなる。「燃えるような真っ赤な花」とすると、さらに限定された花しか伝えなくなる。就職を多くすれば、厳密になる場合もあるけれども、不用意に行うと、伝達性を損ないかねない。いやみに成ることもある。

良い考えの浮かぶ場所<三上>。馬上、枕上、厠上。
文章上達の秘訣<三多>看多(多くの本を読むこと)、さ多(多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)。

★★★