THE SCRAP 村上春樹

懐かしの一九八○年代 ‘THE SCRAP’

懐かしの一九八○年代 ‘THE SCRAP’

アメリカの新聞雑誌から選んだ、おいしい話題がいっぱい。「近過去トリップ」を楽しむうち、ふとノスタルジックな気分になるから不思議だ。軽妙酒脱な"話の屑籠"。

『ブリッグの雨傘』

 雨傘について『エスクァイヤ』誌より。
 一番最初に雨傘をさしてロンドンの街を歩いた英国人にとって、人生は決して甘いバラの園ではなかった。その男はジョナス・ハンウェイという名の博愛主義者で、時は西暦1750年のことである。雨傘がより広く一般に用いられるようになったのはそれから約30年後だが、その30年のあいだハンウェイ氏は、「ちゃんと馬車に乗るか、それとも神様の思し召しどおりにぬれて歩きやがれい!」といった類のあざけりを道行く人々から浴びせかけられ続けたのである。
 18世紀の英国でかさがあまり普及しなかった一番の理由は、当時の男のおおかたが剣を佩していたという点にあった。そういうコンテクストに立って眺めてみれば、雨傘というのはかなりコミカルであるし、だいたい雨傘と剣の両方を持ち歩くというのは不可能に近い。雨に濡れぬように開いた雨傘を持ち歩いているさまは、人々の目には何かしら卑劣なものであるように映ったのである。
 19世紀になって人々はやっと剣を持ち歩くのをやめ、そのかわりにステッキや杖を持つようになったが、それでもまだ雨傘は男らしさという天でそれらの数段下位にあった。しかしながら、1852年にサミュエル・フォックスというヨークシャーの男が今日あるような金属骨の雨傘を発明し、くるくると固くたたんでスリムなパッケージに収まるように工夫した。おかげで、それは鞘入りの刀やステッキと言っても十分通用するほどになり、そこにおいて人々はようやく雨傘を認めてもよかろうと考えるようになったわけである。
 たかが雨傘といっても、いろいろと複雑な歴史があるものだ。いちばん最初に電車の中でウォークマンを聴いた先人の苦労がしのばれる。

★★★