オカルト 田口ランディ

オカルト

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母はいちごあめの瓶を抱きしめて、嬉しそうに笑っていた。母の魂だったのだろうか。暗くなった山道を漕ぎながら、私はなぜかおろおろと泣いていた―。ぎゅっと、畏怖を、抱きしめるもうひとつの世界との交感。散文35篇。

 正直なところ、私は幽霊の存在なんて信じない。
 信じないって言うよりも、信じられないんだな。信じることが苦手なんだと思う。
 信じるって、それが絶対だと思うことでしょ。 でも、この世のすべてのものは変化する。人の気持ちも変わる、価値も変わる、自分の感性も変わる。みんな変わる。それなのに何かひとつのものを信じてしまうのが恐ろしくてたまらない。宇宙は変転するのだ、それだけを確信している。
 感じるってのは瞬間的なものだ。瞬間の中にだけ、私はリアルを体験する。
 でもそれは、信じることには結びつかない。
 感じるだけだ。
 信じるという継続的な行為はとても難しくて、あたしには途方もない。あたしには信じているものなんかあるんだろうか。自分すら信じていないような気がする。自分のことも他人のことも、さっぱりわからなくて、頼りなくて、私はただおろおろと、カンと経験だけを頼りにこの世界を生きている。
 一体全体、何を信じていいのかわからない状態だけど、別に信じなくたっていいんだと思う。
 信じたり、求めたりするから、
 騙されたり、損したりするわけで、
 そうではなくて、ただかんじてみれば、
 ただ感じて、抱きしめて、手放せば、
 そうすれば、森羅万象、
 すべてのなかに、あたしを生かす力が満ちている。

 宇宙は確かに変転する。感じることもできる。けれどただ感じるだけでは駄目だと思う。感じることを重ねることでそれはもっと強い、大きな、温かい力に、つまり「信じること」に変わる。信じるから騙される、損するという考え方には、怯えや恐れといった消極的な気持ちが含まれている。信じるとは、何かを得ようとする積極的な行為だ。そこに怠惰や諦念が含まれた時、信じる行為から強い力は失われる。すべては変わっていくけれど、僕の信じる気持ちだけは変わらなかったんだ。
★★