とおくはなれてそばにいて 村上龍
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2003/12/01
- メディア: 単行本
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『シャトー・マルゴー』
シャトー・マルゴーの香りも何かを遮断し何かを寸断する。簡単に言ってしまえば、それは感傷だ。親しみが消えてしまったと嘆き、嘆いている自分を許す、それが感傷の正体で、それは最も官能から遠い。悲しみが幾重にも折りたたまれて、シャトー・マルゴーの香りは成立している。それは目の前にあるのに手をどんなに伸ばしても届かない窓際の花々のようなものだ。だからぼく達は誰かの体臭や具体的な肌の質感が欲しくなる。セックス以外では癒せない地点で孤立する。しかし、僕はその感覚が嫌いではない。なぜなのかはわからないが、ぼくに合っているような気がするのだ。
『マルセイユのブイヤベース』
女はセンチメンタルな生きものではない。
問題は男の方なのだ。モナコで会って以来、私は彼女のことがずっと気になっていた。たまらなく会いたくなるときもあったし、連絡場所も知っていたが、ついに電話はしなかった。理由は簡単だ。再会しても、モナコのような充実した時は持てないとわかっていたからである。
それにしてもなぜ彼女に連絡をしなかったのだ?
さまざまな問いが交錯したが、そういう時既に答えは自分でわかっているものなのだ。
彼女のことが忘れられないのは、もう会わないようにしようと二人で決めたからだ。空白がストーリーを作り、ストーリーが感傷を生む。だが、男と女の関係においては、会わないようにしようなどというとりきめは本当は意味を成さない。お互いの気もちが本物なら電話をして、やはり、会いたい、といえばすむことである。
「ブイヤベースを食べたよ」「日本に帰ったらまた電話するから、会ってくれるかい?」
電話を切った後、私は自分のことを偽善者なのだろうかと疑った。もったいつけずにもっとはやく電話をすればよかったのだろうか?
だが、すぐに、まあそんなことはいいじゃないか、と私は自分を許した。
私達は歳を取るほど感傷を恐れるようになる。取りもどすことのできない時間がどんどん増えていくからだ。
だが、同時にセンチメントから守ってくれるものと出会うこともできる。
例えば、あのブイヤベースのようなものだ。
あのブイヤベースには、海の香りと、それに勇気がつまっていたのである。
★★★