置き去りにされる人びと 村上龍
置き去りにされる人びと―すべての男は消耗品である。〈Vol.7〉
- 作者: 村上龍
- 出版社/メーカー: KKベストセラーズ
- 発売日: 2003/06/03
- メディア: 単行本
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日本という国を企業に例えるのは適切ではないが、日本は、ミスをしないように戦々恐々となっていて、決して新規事業を始めようとせず、利益があがるための工夫もしない巨大企業のような状態に陥っている。そんな国を「元気に」しようというのはおかしい。もともと元気が出ないようなシステムと考え方で埋め尽くされているのだから、一人一人の社員に「元気を出せ」と励ましたり、どうすれば元気になれるかと考えたりしてもムダだ。
日本を元気にするという表現がおかしいのは、トップに居座っている既得権益層をすべて切れば問題の大半は片付くのに、一般の会社員に対して元気を出しなさいと言っているからだ。日本はどうすれば元気になるのでしょうか、という問いについては、銀行や企業や官庁に居座る老人たち、それと地方や中央の政治家たちをすべて「老人の船」にのせて、つかの間の宴会で楽しんでもらったあと東シナ海に沈めればいいという回答しかない。
「格差」はこれからの日本社会の変化を語るときのキーワードになるだろう。たが、本当に格差が顕在化したら、今度は禁句になってしまうかもしれない。また、具体的な格差のイメージを持つのは簡単ではない。国際線のフライトには、ファーストクラスとビジネスクラスとエコノミークラスがある。運賃も違うが、受けられるサービスも違う。
北朝鮮にはチョコレートの存在そのものを知らない層と、チョコレートは知っているが見ることさえできない層と、チョコレートを口にすることができる層の3つがある。
チョコレートとか、国際線のクラスだったらわかりやすいが、格差が全てそういうわかりやすいものだとは限らない。
ホームレスは現代の日本社会の格差の象徴のひとつだ。彼らは最低限のサービスも受けることができない。そして排除されないが、救済もされない。ホームレスを排除しても、救済しても、格差が露呈する。
そして、私たちの社会は、そういった状況を受けいれている。排除を促すわけでもなく、救済を訴えるわけでもない。格差が露呈されてしまう事態が避けられるのならそのほうが居心地がいいのだ。
「自分はチョコレートを口にできることのできる層だから」と言って満足していないだろうか。「チョコよりおいしいもの」の存在すら知らない私たちは、それを食べている人たちに憤りを覚えることすらできない。格差の具体性を知り、そしてそれは隠蔽されていることを知らなければならない。
★★★