東京タワー リリー・フランキー

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

読みやすさ、ユーモア、強烈な感動! 同時代の我らが天才リリー・フランキーが骨身に沁みるように綴る、母と子、父と子、友情。この普遍的な、そして、いま語りづらいことがまっすぐリアルに胸に届く、新たなる「国民的名作」。

 東京の街は原色が溢れていると言われるが、本当は、すべての色が濁っている。チューブから出した鮮やかな絵の具で描ける部分はどこにもない。風景も考え方もすべて、パレットの上で油とグレーに混ぜられて、何色とも呼べなくなった色をしているのだ。
 欧米の映画監督が近未来のストーリーを撮影する時に、日本やアジアのネオン街をロケ地に選ぶことは少なくないが、それは極彩色と人のエネルギーに溢れた街に好奇と刺激を受けたからだとは思わない。
 近く訪れる未来は、これだけ色とコマーシャリズムに溢れていても、こんなに街も人も煤けていると言いたいのだ。

東京にはなんでもあるという憧憬を打ち砕く独自の洞察力。このへんの芸術的な視点が端々に出てきてはっとさせられる。

東京でも田舎町でも、どこでも一緒よ。結局は、誰と一緒におるのか、それが大切なことやけん。

そして卓越したオカン。

母親と言うのは無欲なものです
わが子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれる事を
心の底から願います
どんなに高価な贈り物より
和がこの優しいひとことで
十分過ぎるほど幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです

オカンが引用した絵本作家・葉祥明の詩。オカンのとった行動の全てがこの詩に集約されているように思った。オカンは社会のこと何にもわかってない。甘すぎる。って思ってたけど、この本を読んでそうじゃない、本当に我が子が全てなんだなって感じさせられた。シンプルだけど、それがこの本を読んで感じたこと。劇的な毎日じゃなくて、当たり前のような何気ないことにオカンは幸せを感じて生きてるんだろうな。

「オトンの人生は大きく見えるけど、オカンの人生は十八のボクから見ても、小さく見えてしまう。それは、ボクに自分の人生を切り分けてくれたからなのだ。」

すごく暖かくなるよ。

親孝行って何ができるだろう。


時々、オトン

まあ、これからお前が誰と付き合うにしてもやなぁ、女にはいうてやらんといけんぞ。言葉にしてちゃんと言うてやらんと、女はわからんのやから。好いとるにしても、つまらんにしても。お父さんもずっと思いよったけど、おまえもそうやろう。1+1が2なんちゅうことを、なんでわざわざ口にせんといかんのか、わかりきっとるやろうと思いよった。そやけど、女はわからんのや。ちゃんと口で2になっとるぞっちゅうことを言うてやらんといけんのやな。お父さんは、お母さんにも最後までそれができんかった…。取り返しがつかんことたい。やけど、まだおまえは若いんやから、これからは言うてやれよ…

男っていつまでたっても不器用だと思う。特にオトンは。俺もそんなオトンになっていくのかな…
 それとは逆に、女は口にしなくていいことも、しつこいくらいにしゃべる。こっちがわかりきってることを。だからこそ、口で言わないとわかってもらえないんだろうね。男の気持ちは。

最後に東京タワーにのぼって。

そして、ボクにはこの街全体、この東京の風景すべてが巨大な霊園に見えた。
 ひしめき合って立ち並ぶ長方形のビル群はひとつひとつが小さな墓石に見える。その大小があっても、ここからはたいした区別がない。
遥か地平線の向こうまで広がる巨大な霊園。この街に憧れ、それぞれの故郷から胸をときめかせてやってきた人々。
この街は、そんな人々の夢、希望、悔しさ、悲しみを眠らせる、大きな墓場なのかもしれない

見上げて見えるものと、見下ろして見えてくるもの。見えるのが墓場かもしれないけれど、それでも俺は、高いところから多くのものを見てみたいと思う。
そして、目の前にある当たり前すぎて見えないものを、見える人間になりたいと思う。
★★★★