浄夜 花村萬月

浄夜

浄夜

自称モデルで過食嘔吐を繰り返す宮島弥生は小説講座に通う作家志望の女。講師である芥川賞作家の花山と、彼の担当編集者の桐島は、彼女の作品から立ちのぼる負のエネルギーの強さに圧倒され衝撃を受ける。衝撃の問題作。

自意識を嘔吐し、自己をこびりつける場が宮島の場合、小説で、桐島も、小説だった。ただ宮島は小説家、桐島は編集者という立場の違いはあるのだが。誰でも持っている自意識はどこに嘔吐すればいい?小説やブログやメディアにぶちまけても、それは大衆に受け入れられない。そんな花村萬月の小説論がこの本にはぶちまけられている。

「御主人様と奴隷の数は、どっちが多いだろう」
「奴隷に決まってるわ」
「そういうこと。民主主義っていうのは鷹揚な御主人様の奴隷救済措置の不完全な提示に過ぎないのに、奴隷本人たちからは究極であるかのように信奉されているだろう」
「何言っているのかわからない」
「バカには民主主義がふさわしいってことだよ。同様にバカにはベストセラーを与えておけばいい」

自意識について

 人は脇役ではいられない。
 本人に主人公の能力や容姿が完全にかけていても、それを薄々自覚しているとしても、人は脇役ではいられないのだ。胸の裡どこかで主役を欲する。
 恋愛が至上至高のものに映るのは、恋愛を錯覚する瞬間に人は誰でも世界の主人公になれるからだ。
 客観的かつ冷静に見わたしてしまえば、セックスの昂ぶりと快感は、あまりに不細工すぎる主人公ごっこを隠蔽するために悪意の神が与えてくれた皮肉まじりの御褒美だ。

仕事という場に自意識を嘔吐することができれば幸せなのかなと感じた。
★★★★