沖縄論 小林よしのり

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論

戦争論』『台湾論』から5年。構想、執筆1年。戦後60年の節目に、大幅書き下ろし、怒濤の400枚で問う問題作。これはゴーマニストから日本人への新しい挑戦状だ! 第1部…沖縄を考える(米軍ヘリ墜落と基地問題)、第2部…琉球王朝とは何か?(海の王国の物語)、第3部…沖縄戦後史(これが封印された祖国復帰の歴史だ)、最終章(歴史とクニガラ)。真夏の紫外線の中、恐る恐る沖縄に降り立ったゴーマニストは、沖縄の基地、現状を目の当たりにし、やがてその深層に潜む沖縄のアイデンティティと歴史へ足を踏み入れていく。沖縄の戦後史を救ったある政治家の一生、最後に降り立った「神の島」で捧げた祈り…これまでの対立軸に凝り固まったイデオロギーではとうてい立ち向かうことのできない思想的挑戦! しょくん!受けて立てるか!?

 那覇市役所の前に「核平気廃絶平和都市」と大書されている。理想ともいえない。叶わぬ夢だろう。むしろ米、中、露、印、パ、仏、英、イスラエルなどの現在の「核クラブ」だけの「恒久的な核保有」を助ける運動なのではないか?むしろ日本も核抑止力を持たねば、中、露、そして北朝鮮の核に怯えて、イラク戦争の時のように侵略戦争まで支持してしまう卑劣に荷担する破目になる。米の核の傘で守られながら、イラクの数十万人の無辜の民を虐殺することに荷担してしまったことに、心が痛まぬのだろうか?核廃絶などと呪文唱えてる者らは?
 本当に侵略戦争を阻止したいと願うのならば、きれいごとだけ言って自己満足に耽る愚から脱出してほしいものだ。
 

 政治の力学は難しいね。

 沖縄でごく一般的に行われている風習で、「催合い(もやい)」というのがある。気の知れた友達同士が定期的に集まって、その時いくらかずつお金を出し合う。それをそのつきの親が総取りできるという。

 お金を担保に「社交」を続けるシステムらしい。これは確かに出入りの激しい都会ではできない発想でおもしろい。こんなのんびりしたシステムがある一方、沖縄の経済と日本の防衛は沖縄に集中している基地無くしては成り立たないことが描かれる。本土の人間、ヤマトンチューである僕は沖縄をリゾート地ぐらいにしか認識していない。そして沖縄の人も生活水準を下げたくないあまり、基地に依存する生活から脱せない。筆者は自立防衛を唱える人間であり、そこに憤りを感じている。自立の声を上げないウチナンチューに、そして沖縄を切り捨て、沖縄に誠意を持って応えないヤマトンチューに。筆者は「命どぅこそ宝」を批判する立場に立脚し、ついにはそれが「金どぅこそ宝」という精神につながっていると沖縄を批判するが、それは戦争を実体験していない現代に生きる私たちだからこその発想のように思う。米兵にやられる前に自害したあの時代の価値観を僕たちは持ち合わせていないし、今の時代に生きる若者は命を賭して貫くべき精神が育める環境にもいない。壮絶な沖縄戦の後に生まれた経緯のある「命どぅこそ宝」精神を歪めて捉えたように感じるところが本書の納得のいかない点だ。
★★★