プチ哲学 佐藤雅彦

プチ哲学 (中公文庫)

プチ哲学 (中公文庫)

ちょっとだけ深く考えてみる―それがプチ哲学。書き下ろし「プチ哲学的日々」を加えた決定版。考えることは楽しいと思える、題名も形も小さな小さな一冊。
『価値のはかり方について』
 ひとつの事柄には、いろんな価値が存在します。例えば1kgの金塊は、お金に換えると莫大な額の数字になりますが、漬物石として使うとしたら1kgの価値しかありません。あるものの価値を図るのに、いろんなものさしがあるということを知るのは徒でも大事なことです。そして、その時もっと大事なことは、どのものさしをあなたが選ぶかということなのです。
『前提条件が教えてくれる』
 電池「うっかりして自分が古い電池か新しい電池かわからなくなったんです」ラジオ「そんなのすぐに教えてあげるよ」電池「ねえ、どうして何も教えてくれないんですか?……あ!そうか!」
 世の中には、その前提条件で、すでに“ある事がわかっている”ことが、おうおうにしてあります。例えば占い師のところに来る人に対して「あなたは何らかの迷いがありますね」と当てるのはとても簡単なことです。なぜなら、そこにくること自体が、それを示しているからです。私たちは時として、このように答えを待たずして正しい答えを得ることもできるのです。
『“枠組み”ということ』
 乱暴者のカエルがケロちゃんを押している絵。次の頁の絵は上からリンゴが落ちてきていてケロちゃんにぶつかりそうな絵。見る枠組みを帰ると、同じ行為でも逆の意味さえ持ってしまう。私たちがものを見ているときには、必ずある枠組みからものを見ているということを知っていなくてはいけません。
アフォーダンスという考え方』
 テニスのラケットを持つときにガットのほうを持つ人はいません。それはラケットがこうして持ってくださいという形をしているからです。いい道具というのは、むこうからこう遣ってくださいという働きかけをしています。これを「アフォーダンス」といいます。
『情報がない、という情報』
 3つのカップの問題。階段にいるカップたち。君たちは自分に何が入ってるかわかりませんね。コーヒーかミルクのどちらかが入っています。ただし3人とも同じということはありません。上の人は舌の人たちの中身が見えますね。実は、君たちの中で一人だけ自分の中身がわかる人がいます。「うーん、うーん」まもなく、「あ、わかった!」それは誰だったのでしょうか?
 よく、「便りがないのはいい便り」ということが言われます。この場合、便りがない、つまり「情報がない」ことが無事暮らしていることの「情報」のひとつになっているのです。真ん中にいるカップは、あるとき、誰からも答えが出ないという状況を「ひとつの情報」だと気付きます。
 これらのことはなんとなく気付いているけど、意識して気付くようになれたらスゴイ。佐藤雅彦はまさに「考え方を考える」人だ。
★★★★