時速100キロの人生相談 寺山修司

寺山修司から高校生へ―時速100キロの人生相談

寺山修司から高校生へ―時速100キロの人生相談

20数年前、気鋭の詩人・劇作家が受験雑誌「高3コース」を舞台に〈ジ・アザー・ハイスクール〉を開講し、高校生との激論を交わしていた。この本は寺山修司から、いま高校生のきみと連載当時高校生だったあなたへの、エキサイティングな贈りものである。
 受験雑誌を買うような真面目な高校生たちの青臭い投書、それをバッサリと切り捨てる寺山、それぞれが面白い。高校生たちはなるほど、受験雑誌を買うだけあって少し内容のあるように感じられるうまそうな文章を書く者もいる。しかしそれはどれもどこかで聞いたような考えばかり。そんな高2病患者たちに寺山は自分の言葉で書け!と叱責する。いやーおもしろい。
 幸福とは奉仕の精神では?という高校生に対して

 現代人がほしいのは「幸福」そのものではなく、「幸福論」であり、誰もが幸福とは一体なんであろうかということを捜しているのです。ルナアルは、「幸福とは幸福を捜す事である」といっています。「規則なり約束なりを守り、それを基にして、人のために何か役立つ」というのはキレイゴトであり、管理され飼育される小市民的な発想のような気がする。
 幸福とは、もっとたけだけしいものだ、と僕は思いたい。幸福とは、何かを守ることではなく、新しい価値を創造することです。

何のために生きればよいのだ、俺が死んでも人間は動き回る、生きるとはどういうことか、いたずらに老い、死んでいくのか。というようなウジウジした日記を送ってきた高校生に対して

 君はこの日記を書く前に100メートルを全速力で走るべきだった。
 ローリングストーンズを100回聞くべきだった。見知らぬ女の子に話しかけてみるべきだった。「あしたのジョー」の10年後を創造するべきだった。
 僕は、「生きる」などということを10行くらいで書いて悩むような軽薄さを好まない。

 死は、生きている人間の中のイメージでしかないのである。生が終わればいっしょに死も終わるのである。

 センセはアグレッシブやなあ。
★★★