マムシのanan リリー・フランキー

マムシのanan

マムシのanan

『anan』で連載されたエッセイ「リリーVSペリーの闘う好奇心」より。

『恋のトラウマ』
 「おはよう」さわやかな笑顔で彼女は彼のくちびるに告げた。そして、彼は不意にまじめな表情で言った。
「オマエ、口臭いんだよなぁ」
 それ以来、彼女はキスをするときにも口を固く閉ざした。口で呼吸をしなくなった。数百年後彼女の子孫はエラ呼吸の生物になることだろう。
 こんな、相手が無意識に発した言葉でも、充分トラウマになりうる。
 そしてまた、女の人と言うのは、傷つけられることには敏感なクセして、傷つけることには鈍感なもんです。
 特に、彼氏との別れ際。男はその時、何かを言葉に託して相手に告げるもの。今、コイツがわからなくてもいい。何年後かに貴様が顔を突っ込んだゴミ箱から見上げた月にオレの顔と今、オレが告げた言葉がセットで浮かぶだろう。男はどんな時も優しさとロマンがある。
 しかし、女ときたらどうだ?別れ際には、引越しの粗大ゴミを出すようなつもりか、言わんでもいいようなことをさんざん並べて去る。
「今まで、ずっと言わなかったんだけどさぁ!!」
 そしたら、言うな!!テメエが気持ち良くなる為に、人を傷つける。もう、これが最後と思ったら、何のためらいもないらしい。「本当のこと言うと…」
 今さら言うな!!
おしなべて女は恋愛が盛りあがっている時に恋のトラウマを作り、男は恋愛関係が盛り下がっている時にトラウマを作る。

ンッン〜名言だな、これは。

『女の変身願望』
 ”違う私になりたい”。こんな事を考えるのは、銭湯の壁に貼ってある指名手配犯人か何かにいきづまっている女くらいのものである。

『女の身だしなみ』
 風呂上り。すっぴんに眼鏡をかけ、片手を高く上げながら毛抜きでワキを抜くビジュアル。かなり女としては見られたくない姿だ。その上、強くアゴを引く姿勢のため、下唇はビロンと突き出て、まるで執筆中の松本清張のような顔。
 清張な時間。この時間こそが女性の身だしなみを整え、美しくする時間なのだ。
 また、手鏡を持って鼻毛のチェックをする。鏡の角度を変えながら、鼻の頭を上に吊り上げ穴の隅々に目をやる。その姿はまるで、研ナオコのモノマネをするためにセロテープで鼻を持ち上げた清水アキラのようだ。
 研の刻。言うまでもなく女性にとって大切な時間である。
 結局、美しい人は整備工が油まみれで車のメンテナンスをするように、イケてない時の時間(清張な時間や研の刻)をイケてる時間に正比例して持っているということなのだ。

リリーフランキーよ、ハーミットパープルでも持ってるのか。「貴様、見ているなッ!」と言われそうなくらい的確な描写。これからキレイな女性を見たら、同時に松本清張の顔が浮かんでしまう……トラウマだ。

『「孤独」と「淋しさ」』
 以前、裏切りを犯した女がこう言った。「淋しかったから。淋しくさせるから。淋しいから他の人を好きになるのよ。」彼女は、淋しさが恋愛感情をおこすのだと言う。
 気もちは判らないでもない。だけど、誰かに寄りかかりたい気もちと、人を愛する気もちは同じじゃない。そんな女は死ぬまで、恋愛感情と淋しさを埋める行為の区別もつかないまま同じ事を繰り返してゆくだろう。
 淋しくなるのは人のせいじゃない。キッカケがそうであっても結局は自分のせいなのだ。人に依存して、自分の足で立てないから、寂しさを一人で克服できないのだ。いい言葉がある。”淋しいのはオマエだけじゃない”
 誰だって淋しいのである。淋しがる女がそれを埋める手段は常に男だが、その代償として、淋しがる女は信頼を失う。
 約束や夢や永遠というロマンチックなモノを共に紡げる相手ではないと、相手からの信頼をなくすだろう。
 今、携帯電話やメールなどが普及して、些末なコミュニケーションをかわすことがあたり前の時代。自分の寂しさをなだめるために”元気にしてる?”と、相手を気遣ったような言葉やメールを送りあう。
 一種のコミュニケーション中毒だ。そこにある、偽善と負の共鳴性。表面的でいて、その実、気もちを探り合うようなしらじらしさ。
 逆に淋しさを増幅させ、真の孤独を生み出すようなツールがあたり前になった今、淋しがりの女は愛されることよりも、心無い一本のメールに飛びつくことで、錯覚してゆく。
 「淋しい」という感情がなければ人はもっときれいに生きるだろう。もっと賢く、もっと穏やかで、もっと優雅に。
 寂しさに勝てる女は美しい。ひとりの時間を豊かに過ごせる人。そんな人がいるならば、ボクは憧れてしまう。
 春が人を狂わせるように、秋には人が淋しさに狂わされる。
 しかし、今までに自分も含めて、寂しさに打ち勝っている人間というのも見たことがない。
 人間は本当に頼りない生きものである。

うんうん、ロマンチックじゃないと生きていけないよな。

 その時、付き合っていた彼女とは別れる寸前だった。お互いその予感を全身で感じながら最後にどこかで飯を食った帰り。
 その人を見ていていろんなことを思い出しているうちに、ずっと欲しいを言っていた腕時計のことを思い出した。銀行に行くと残高は35万しかなかったけど、それを全部引きだして、時計を買いに行こうと言った。彼女は”いいよ”と言ったが、無理やり買いに言った。このまま別れて、ボク自身がそれを買ってあげられなかったことを後悔したくなかったのか、何かをつなぎ止めようとしたのか判らなかったけど。最後のプレゼントだとはわかっていた。
 その腕時計をした彼女は結局見ることがないままだった。
 しばらく経って、彼女からあの時計を売ってしまったと電話があった。ボクは全然構わないと言った。新しい彼氏の前でその自分に似つかわしくない時計をしているのがツライと言った。
 ボクはそれを聞いて、素敵な人と付き合っていたなと思った。時計をあげて良かったなと思った。

 こういう女性はすごく素敵だと思う。時計をあげて良かったと思ったリリーも素敵だ。僕のしたプレゼントたちはどうなってしまったのだろうか。ずっと使ってると言われたら、矛盾するけど、それはやっぱり喜んでしまうんだろう。
 騙されるな、俺。
★★★★★